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寝袋と朝焼け Vol 42016.01.21 Thursday
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私には3人の子供がいる。
今ではみな成人してそれなりに成長してくれたけど
創刊当時は16歳、10歳、8歳の子供たちだった。
当時、夕方になるとスタッフのみんなには内緒で、買い物をして夕食を作りに自宅へ戻っていた。
子供たちに夕食を食べさせて、会社にもどり朝方まで仕事をする。
夜明け近くになり、あわてて自宅に戻り朝食を作って学校へ送り出す。
そんな毎日だった。
でもそんな生活をしているのは私だけでなく、
6人のスタッフ全員が寝袋持込で、会社がすべての生活、
そんな日々でした。
朝焼けを見ながらコーヒーを飲む。
当たり前のようにやっていたあの頃を複雑な気持ちで思い出す。
話は少しずれるが、今年のお正月に末の息子と二人で東京の増上寺に初詣に出かけた。
帰り道、ウナギを食べようと二人で鰻屋に入った。
その時、初めて彼から聞いた。
「おかんの携帯番号は絶対に忘れないよ。子供の時に、おかんに会いたくて、何度も何度も携帯に電話したからさ」と。
そういえば、8歳の彼は前橋の自宅から高崎の私の会社まで
一人で自転車で来たこともあった。。
そんな思いを一度ならず何度もさせていたのだ。
あの当時、私の頭の中は、絶対失敗できない。
この事業をなんとしても成功させねばならないということしかなかったのだろう。
必死でやっていれば何とかなる。
子供たちだって何のためにこんなに働いているのかわかってくれるはずだと。
でも今思うと、なぜそんなに一人で背負いこんで頑張っていたのだろうかと、ふと思う。
周りに迷惑かけたくないと、一人で必死に仕事に向かい合っていたのだけれど、
それはある意味自分の勝手な思い込み。
子供たちのことを本当に冷静に考えれば、頑張るところが他にもあったはず。
周りの人の力や助けを借りることや、子供達共もっと向かい合って、
理解を乞う努力をすべきだったのではないかと。
事業を成り立たせる中で、こういう子供達の犠牲もたくさんあったということだ。
もちろん、息子はそれを非難しているわけではない。
昔話としてサラっと話してくれたのだけれど、私は心の中にとてもとても痛いものを感じた。
今だからそんなことを思うけれど、
当時は目の前の締切に追われ、売上を追いかけながら町の中を走り回っる毎日であった。
続く
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スポンサーサイト2016.01.22 Friday
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