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パリッシュの船出は5人の女たち Vol 32016.01.20 Wednesday
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小さな事務所をオープンすると同時に社員募集の求人広告を出した。
「マイタウンをもっと元気に面白く!一緒にタウン誌を作りましょう」
という求人広告を見て応募してきた女性たちがたくさんいた。
たぶん出版社という名前に惹かれての応募だったのでしょうが、
仕事を始めて数日すると、「私にはできません」と泣きながらやめていく。
取材して楽しいコピー作ってルンルン♪なんて想像していたのだろうか?
女の子たちは、毎日毎日広告営業に走らされる現実を知り、辞表を置いてパリッシュを後にする。
それも致し方ない話だ。
当時の町のお店は、タウン誌に広告を出して集客するなどという文化がないわけで、
どこへ行ったって断られるのだから。
そんな中でも3か月くらいすると、
本気になり始めて一緒にやろうと腰を据えてくれるスタッフが現れはじめた。
以前勤めていた会社の後輩のOちゃん、
今でいうフリーターをやっていたTちゃん、
3人の子持ちのMちゃん、
年齢不詳で年上のKさん、
ライター専門のIさん。
そうだ、一時だけワケありの中年男性Xさんもいたっけ。
中でもそれから10年以上私と苦楽を共にしたOちゃんとTちゃんはその後のパリッシュを支えてくれる幹部スタッフになってくれた。
後になってTちゃんが語ってくれたが
「私は最初事務所に入った瞬間、騙されたのかもと思いましたよ。
だってデスク6台と電話3台しかない事務所だったんですから。他に何にもないんですよ。
でも社長があんまり熱く語るんだもの。
パリッシュという情報誌を高崎に出すのよ!全世帯にポスティングするの!高崎にパリツシュという文化を創るのよ!」と。
「圧倒されて、頷くしかなかった。それになんか夢みたいなものをちょびっと感じたのかも・・・」と
社員を引き留め、納得させるものが何もなかった私は、自分のパリッシュへの夢を語る以外になかったのだ。
それでもなんとか5名のスタッフと走り始めた。
もちろん私とOちゃんを除く全員が、雑誌作りや営業など未経験な者ばかり。
まず情報誌とはなんたるものか。
広告営業とはこうやるの。
パリッシュの掲載価格は●●円、パリツシュの面白さは●●●よ。
全て一からの教育だ。
その後3か月後に創刊号を出した。
奇跡的(これが2回目の奇跡になるのか・・・)にも目標金額の1500万円を稼ぎ出した。
創刊号を手にしたKさんはへたりこみパリッシュを握りしめて泣いていた。
でもそれで終わりではなく、次号の営業がすでに始まっている。
ここから毎月毎月終わりのない月刊誌事業が続くのだ。
その年の暮れ、みんなで伊香保温泉に社員旅行に行った。
皆に申し訳なく思う、忘れられないことがある。
創刊号まであんなに頑張ってくれたスタッフなのに、温泉費用を全員自腹を切らせてしまった。
今では考えられないことだけど、みんなはそれでも快く出してくれた。
会社からは出してあげられなかったのだ。そんな余裕はなかった。
こんなに何もしらないスタッフをとりあえず5人、無理やり手漕ぎボートに乗せて大海原に船出した。
なんと恐ろしいことよ。 続く
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スポンサーサイト2016.01.22 Friday
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